人間関係が変わったのもあるけど、時代の変化(多様性)の影響もあるかもと感じたことを綴る_φ(・_・
昔は作者本人のオリジナル作品の話題はしづらく版権作品の話題に合わせなきゃなーと思ったけど、今は逆に版権作品が全然被らず個々という関わりが強いのもありオリジナル作品の話題の方が盛り上がる。
作者本人のオリジナル作品の話題ってひとりだから痛いかもとしょんぼりしてたけど、今は版権作品の話題が被らず空振りさせてしまう方が申し訳ないと感じる。
私も版権作品はよく版権作品ってノリでいってしまい、そのたびに昔にオリジナル作品の話題を出したときと似たような寂しさを味わう苦笑
多様性と呼ばれる時代の前にオリジナル作品は既に「知ってる方が超絶レアだから仕方ないよね」という地盤ができてるからいいんだけど、版権はまだ仕方ないと思える地盤が緩いよね(´・ω・`)
今の時代で流行った有名作だろうと平然と空振りが発生する。ちなみに私は、今だろうと昔だろうと版権での有名作話題をそれなりに空振りさせてしまう。
私のようなタイプを仮に逆張りで片付けられてしまうのは……正直なところ逆張りという言葉は、昔からオリジナル作品作ってきた身としてはめちゃくちゃ寂しい言葉だと思う。
私はまあよくあることだけど、私の周りの知り合いも妙に作者本人らのオリジナル作品の方が食い付きがいい気がする。作者本人らのオリジナル作品は最早知らないことが前提だから、話す側も聞く側もミスマッチなく構えられることがメリットとしてあるのかもね。
何を言ったかではなく誰が言ったかが重視される空気が続くと、作品の前に「知り合いが」といったワードが付くだけでそれなりに価値が揺れるようになった気もする。版権でも、私が今まで触れてきた作品の傾向から〇〇さんが勧めてくれた作品……とか。
今の時代のコミュニケーションの取り方は、徐々に掴んでいこう。
オリジナル作品の肩身の狭さがなくなって昔より居心地よくはなったけど、今の時代は今の時代でコミュニケーションが難しい(´・ω・`)
作品に限らずだし、今は仕事でもプライベートでも案外「あなたはどうなのか?」を求められるんやねとは感じてる。この件についてはそろそろ「私でええんか?」的な反射的反応は改めていきたいところ。正直なところ、まだギャップの埋め合わせができていないかも。