自信が抉れたときのこと

友人から「昔会ったときはつらそうだったね」と言われたとき、私は昔に「自信が抉れた」と言っていたことを思い出した。

どうやって回復したのかと言われたけど、当時のことはあまり思い出せない。話題に出て「そんなこともあったな」と思ったくらい。

自信を失った・自信を奪われた・自信が欠けたという言葉だとなぜかしっくり来なくて、自信が抉れたというのが最も適切だった。

自信が抉れたところには、ボンドをチューと注いで固まった、ふにゃふにゃ物質が詰まっている。なので、変な方向に曲げても痛くはない感じ。

今までは自信が抉れたというのを深刻な状態だったと捉えていたかもしれないけど、当時の詳細を忘れるほど回復した今は「自信が抉れた」でとてもよかったと思った。

抉れた自信に合う型なんてないので取り戻せはしないけれど、新しいものを注いで修復することはできる。

自信を失ったとき、奪われたとき、欠けたときには、取り戻すことはできるけれど、取り戻す先が問題の人らでなくとも無関係な人から取り戻すこともできる。

当時、問題の人らのことはものすごく反面教師にしていた。他の人のことを当時の自分に重ねて「絶対に問題の人らと同じことをしてたまるか」という気持ちを抱いて、相談に乗ったり話したりした。

今は周りにそんな人らはいないので、友人にはとても前向きに話せた。

その後の2024/10/25

最近怒ってばかりだったのだが、自信が抉れたはずのところに響くような痛みはない。

昔はなぜか、立て続けに酷い言葉を目の前で言われることが多かった。その言葉は今でも忘れない。

ネット監視されながらお前はエンジニアにはなれないと言われたときのこと。

やっていることどころか言葉すら届かずに、あなたはデザインができないと言われたときのこと。

話が通じないまま、仕事のプラットホームで掲載されている絵くらい描けないと難しいんじゃない?と指摘されたあと、自分は仕事でいろんな絵を見てきたからと言い訳されたときのこと。

TwitterやYoutubeなどSNSの引用やシェアでしか喋れないのに、価値観の違いを認められずにいろいろ言われたときのこと。

盛和塾の教えをしつこく進めたり、自分の望むようなことを強引に押し進めようとしたり、他人の事業を馬鹿にするような人に、私のやり方が気に入らないからか、あなたは人の話を全く聞かないとか、あなたは我儘だと言われたときのこと。

好き嫌いや思い込みが激しいことをまとめた代名詞として、イスラム主義みたいな思想だとあらゆる方面で差別されたときのこと。

今の自分のままでは他のところでもやっていけないとか、人に騙されるだとか、無駄な心配をされたこと。

単なる価値観や視点が異なることで、そこから新しい気付きややり方を見つけられるだけのことなのに、他人のやり方を間違っていると言わんばかりにあなたは傲慢だと言われたときのこと。

チームのために色々考えて、たくさん悩んでも、人が説明する最中に平然と笑われたり、些細なことで文句を言われたり、誰も求めてもいない暴言を飛ばされたこと。

全く話が通じないどころか資料すら無視されて、同じ話の繰り返しばかりだったこと。

本当はもっといろいろあったけれど、多分きりがなくなる。

今思い返すと総じて「鏡を見ろ」と言わんばかりだったけど、なんかよく頑張ったなーと思う。鏡が壊れているなら代わりに買ってプレゼントを叩きつけてやればよかったと思うくらい、ジョークに変えることはできそうだ。

私もだいぶ強くなったのだろう。そして、今まで言われたような言葉はありがたく全て反面教師にさせていただいている。

すまんね。当時嫌だったことと同じことは意地でも他人にせんのだわ。今は知らんけど、あんたらと私は違うから。

ここ数日の出来事を考えながら書いたけれど、自信が抉れたはずのところに響くような痛みがないことには結構驚き。

とりあえず、頑張っていきましょー笑