ブログの運用はこのままで

いろいろ書いちゃって、ブログの運用をどうしようかなと思うこともあるけれど、むしろ何かの拍子に気持ちをブワーッと書き出して晒してもらうためには今みたいな運用も必要やね。

黙って自分の考え事を言わないってことだけじゃなく、私が私自身の不満を濁したり、つらいことやか苦しいことを無意識に隠そうとしてしまうことが多い。

心の傷を抑えようとするのはその場で反射的に暴言を吐かないためだけど、結構ひとりで溜め込む。

家族にも見せたくない&心配かけたくないと思うのもあり、余計にひとりで抱え込んでしまいがち。
友人にポロッとこぼすことはまああるけれど、あまりこう…ね、しんどいからね苦笑

あとは、ブログに書き起こしてみることで客観視できるのがいいね。私自身がトラブルメーカーなのかなと少々自信がなかったのだけど、これまでなかなかひどい言葉を言われてきたし、目の前で言葉で殴り返さなかっただけでもよく頑張ったと思う。

まあ全部過去の話だから、今はどうだか知らんけど。普通に今も関わっている人もいるし()

今変わってたら別に過去のこと持ち出さなくていいでしょうに。むしろ持ち出すというのもよろしくないし、過去は今の判断材料くらいでいいでしょう。

他人の過去のことをあれこれ言ってたら、そのうち自分の過去も許せなくなるだろうし、嫌な話そうやって自ら首を絞めていくことで他人に謝れない人間の出来上がりーってなるわ()

ブログの整理疲れたー。寝よう寝よう。

結局のところの考え方

「過去の傷を掘り起こすのは深いけれども、現在進行系で人がどうだこうだは知らん」というスタンスではあるかな。

過去に受けた私の心の傷はあくまで私自身の問題なので、過去の当事者とは戦うが今は知らんって感じ。それに、過去は過去なので(´・ω・`)

今から引き摺り下ろすぜー!は、私個人がやるのは滅茶苦茶嫌いで、何なら私のポリシー違反ではある。他人の場合は、もちろん正当なものもあるので、それは認められるべきことだと思う。

とりあえず今は知らんよ。ほとんど関係ないし、そんな他人に興味ないから、相手にとってもいい意味でどうでもいい(´・ω・`)

自信が抉れたときのこと

友人から「昔会ったときはつらそうだったね」と言われたとき、私は昔に「自信が抉れた」と言っていたことを思い出した。

どうやって回復したのかと言われたけど、当時のことはあまり思い出せない。話題に出て「そんなこともあったな」と思ったくらい。

自信を失った・自信を奪われた・自信が欠けたという言葉だとなぜかしっくり来なくて、自信が抉れたというのが最も適切だった。

自信が抉れたところには、ボンドをチューと注いで固まった、ふにゃふにゃ物質が詰まっている。なので、変な方向に曲げても痛くはない感じ。

今までは自信が抉れたというのを深刻な状態だったと捉えていたかもしれないけど、当時の詳細を忘れるほど回復した今は「自信が抉れた」でとてもよかったと思った。

抉れた自信に合う型なんてないので取り戻せはしないけれど、新しいものを注いで修復することはできる。

自信を失ったとき、奪われたとき、欠けたときには、取り戻すことはできるけれど、取り戻す先が問題の人らでなくとも無関係な人から取り戻すこともできる。

当時、問題の人らのことはものすごく反面教師にしていた。他の人のことを当時の自分に重ねて「絶対に問題の人らと同じことをしてたまるか」という気持ちを抱いて、相談に乗ったり話したりした。

今は周りにそんな人らはいないので、友人にはとても前向きに話せた。

その後の2024/10/25

最近怒ってばかりだったのだが、自信が抉れたはずのところに響くような痛みはない。

昔はなぜか、立て続けに酷い言葉を目の前で言われることが多かった。その言葉は今でも忘れない。

ネット監視されながらお前はエンジニアにはなれないと言われたときのこと。

やっていることどころか言葉すら届かずに、あなたはデザインができないと言われたときのこと。

話が通じないまま、仕事のプラットホームで掲載されている絵くらい描けないと難しいんじゃない?と指摘されたあと、自分は仕事でいろんな絵を見てきたからと言い訳されたときのこと。

TwitterやYoutubeなどSNSの引用やシェアでしか喋れないのに、価値観の違いを認められずにいろいろ言われたときのこと。

盛和塾の教えをしつこく進めたり、自分の望むようなことを強引に押し進めようとしたり、他人の事業を馬鹿にするような人に、私のやり方が気に入らないからか、あなたは人の話を全く聞かないとか、あなたは我儘だと言われたときのこと。

好き嫌いや思い込みが激しいことをまとめた代名詞として、イスラム主義みたいな思想だとあらゆる方面で差別されたときのこと。

今の自分のままでは他のところでもやっていけないとか、人に騙されるだとか、無駄な心配をされたこと。

単なる価値観や視点が異なることで、そこから新しい気付きややり方を見つけられるだけのことなのに、他人のやり方を間違っていると言わんばかりにあなたは傲慢だと言われたときのこと。

チームのために色々考えて、たくさん悩んでも、人が説明する最中に平然と笑われたり、些細なことで文句を言われたり、誰も求めてもいない暴言を飛ばされたこと。

全く話が通じないどころか資料すら無視されて、同じ話の繰り返しばかりだったこと。

本当はもっといろいろあったけれど、多分きりがなくなる。

今思い返すと総じて「鏡を見ろ」と言わんばかりだったけど、なんかよく頑張ったなーと思う。鏡が壊れているなら代わりに買ってプレゼントを叩きつけてやればよかったと思うくらい、ジョークに変えることはできそうだ。

私もだいぶ強くなったのだろう。そして、今まで言われたような言葉はありがたく全て反面教師にさせていただいている。

すまんね。当時嫌だったことと同じことは意地でも他人にせんのだわ。今は知らんけど、あんたらと私は違うから。

ここ数日の出来事を考えながら書いたけれど、自信が抉れたはずのところに響くような痛みがないことには結構驚き。

とりあえず、頑張っていきましょー笑

音からの理解

私は音からの理解が早いことに気付いた。

音といっても耳とは限らず、たとえば漫画の効果音や、絵のインパクトやオーバーリアクションとかも(・ω・)

まあ一番キャッチに使うのは耳だけども。

で、関わり上離れられない相手からの怒声や酷い言葉を間近で聞くと、なんか触覚1本取られた感じになる。

触覚1本取られた感じになると、わりとまじで言葉が聞き取れなくなる。今年の初旬は耳の聞き取りが悪くなっていたのだが、今は何の支障もなく聞き取れる(´・ω・`)

外出時に音楽を聴いたり、集中したいときに音楽を聴くのは、耳を外部のノイズから守る&自分のペースを守るためかな。

文章を書くときにも音楽を聴くのだけど、最終「音楽かかってたんや」とかけてたことを忘れる。最初は音楽をアレコレ選んで集中力をチューニングする感じ。

耳は大事に〜。

楽に描く方法や見せ方を探すのはお絵描きが嫌いというよりむしろお絵描きが好き

私はマイペースで怠惰な性格なので、お絵描きするときは楽に描く方法を探ったり、楽に描いても許されるかなーという見せ方を探るのが好き。

怠惰なお絵描き精神を「私は絵を描くことが嫌いなのでは?」と思っていたけれど、最近になってむしろお絵描きが好きだから怠惰なやり方を探ることに気付いた。

テキトーに描いたり雑に描くのも、お絵描き好きだからやね。そこんとこ履き違えられたくない。

諦めと、受け身スキル

諦めずに続けたら…という話ではなく、諦める時期があっても、何か別の形になっても続けられたら…ということなのかも。

諦めるという瞬間にはいろいろもがいたり、腐る時間が必要になるけれど、他人を馬鹿にして笑う生き方に傾かないようにしないといけないんじゃないかな。

自然と死ぬときに「人生に満足です」って死ねるのは、諦める時期があっても、何か別の形になっても続けられる方なのだと思う。

もがいたり腐ることも、それなりの受け身スキルなのだと思う(´・ω・`)

受け身を取るのって、悪い感情や悩みに飲まれないようにする力でもあるよね。

受け身を取れない人ほど自分の失敗を許せなかったり、他人の揚げ足を取るようになるから、私はそうなりたくないって反面教師の気持ちでやっていこう。